こんにちは、奨学金男です。
最近、よく思うことがあります。
「愛嬌があれば、もう少し生きやすいのにな」と。
私は、どちらかというと、他人に好意的に見られることが少ないタイプです。
冷たそう、怖い、話しかけにくい……。
実際、職場でも初対面の人からは「ちょっと近寄りがたい」と言われることがあります。
もちろん、心の中では「そんなつもりはないんだけどな」と思っているのですが、外から見れば、やっぱりそう映っているのでしょう。
そして、正直に言えば、私は友達もほとんどいません。
「気軽に話せる相手がいない」ことが、どれほど日々の孤独感を強めるのか、ここ数年で痛感しています。
自分を変えたい。もっと柔らかく、愛嬌のある人間になりたい。
今日は、そんな私の“愛嬌への憧れ”と、そこにある葛藤、そして少しだけの希望について書いてみようと思います。
「人から好かれる」ことに、こんなにも苦労するなんて
私は、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる属性に当てはまる人間です。
高校2年のときに父を亡くし、母子家庭で育ち、3浪の末に6年制の私立大学へ。
国家資格を得て働き始めたものの、社会に出る時点で背負っていた奨学金と教育ローンは、総額2100万円以上。
毎月の返済に追われながら、生活を立て直そうと必死に働いています。
だからかもしれませんが、「愛嬌」みたいなものは、どうにも身につける余裕がありませんでした。
いつも何かに追われていて、笑顔をつくる暇もなくて。
心に余白がなければ、人に優しくなんて、なかなかできないものです。
友達がいないことも、大きな影響を与えていると思います。
雑談を交わせる相手がいない。相談できる人もいない。
だから、他人との関係づくりに自信が持てない。
「どうせ、自分と話したって面白くないだろうな」と、つい引いてしまう。
でも、だからこそ、人当たりがよくて、誰からも好かれるような人を見かけるたびに、強い憧れを感じてしまうのです。
愛嬌のある人は、得をする
実際、職場や社会の中で「愛嬌がある人」は、やっぱり得をしていると思います。
・少々のミスをしても笑って許される
・初対面の人ともすぐに打ち解けられる
・なにより、助けてくれる人が多い
これは妬みでもなんでもなく、ただの事実として、そう感じます。
一方で私は、どこか壁を作ってしまうタイプ。
人と話すときも、必要最低限。
感情を表に出すのが苦手で、「冷たい」と言われることもしばしば。
でも、決して他人を拒絶したいわけではないんです。
ただ、人との距離の詰め方が分からない。
愛嬌なんて、どうやって身につければいいのかも分からない。
「無愛想」は、育ちや環境のせい?
私は、子どもの頃はそんなこと言われませんでしたが、大学生くらいから言われるようになりました。
家では母が多忙で、いつも疲れていた。
感情を大きく表現するような家庭環境ではなく、静かな家でした。
受験も浪人も、孤独な戦い。
大学に入ってからもバイト漬けの日々でした。
「誰にも迷惑をかけないように」
「自分のことは自分でなんとかする」
そんな風に生きてきた結果、いつの間にか、人に頼ったり、甘えたりする方法がわからなくなってしまいました。
これが、今の「冷たい人間」に映る原因なのかもしれません。
愛嬌とは、才能なのか?努力なのか?
よく、「あの人は愛されキャラだよね」と言われる人がいます。
たしかに、何をしても憎めない人っていますよね。
あれは、もともとの性格?才能?それとも、育ち?
私は、ずっとそれを「才能」だと思ってきました。
だから、自分には無理なんだと、諦めていました。
でも最近になって、少しだけ考えが変わってきました。
愛嬌って、「相手を安心させよう」という意識なのかもしれない、と。
笑顔を見せること。
相手の話をちゃんと聞くこと。
小さなリアクションを返すこと。
そういう些細なことを意識して重ねていけば、少しずつでも印象は変わるかもしれない。
もちろん、いきなり「誰からも好かれる」ようにはなれないかもしれません。
でも、「この人、話しやすいな」と思ってもらえるだけでも、一歩前進だと思うのです。
本当は、優しくなりたい
私のような人間が「優しい人になりたい」と言うと、嘘くさく聞こえるかもしれません。
でも、本音です。
私は、できることならもっと優しい人間になりたい。
自分のことで精一杯にならずに、誰かに気を配れるような人になりたい。
そんな風に思えるようになったのは、きっと、自分の弱さを自覚できたからだと思います。
貧困や孤独の中で、何度もくじけそうになった。
「もう無理かもしれない」と思ったこともあります。
そんなとき、ほんの一言の優しさに救われたことが、何度もありました。
だからこそ、今度は自分が、誰かにとっての“救い”のひとつになれたらいいなと思うのです。
少しずつ、笑っていこうと思う
「愛嬌が欲しい」というのは、言い換えれば、「人との関係を良くしたい」という願いです。
私にできることは、まだ少ししかありません。
それでも、少しずつ意識を変えようと思います。
・朝、会った人に自分から挨拶をする
・コンビニのレジで、ありがとうを伝える
・話をするとき、できるだけ笑顔を意識する
そんな小さなことから、変えていきたいです。
時間はかかるかもしれない。
でも、自分に足りないものを「足りないままで終わらせたくない」という気持ちだけは、持ち続けていたい。
まとめ:愛嬌は、弱さを知った人が身につけるものかもしれない
奨学金2100万円という重荷を背負い、毎月の返済に追われる生活。
人間関係も、人生も、まだまだ上手くいっているとは言えません。
そして、気軽に話せる友達すらいない日々の中で、ふとした瞬間に感じる孤独。
だけど、自分を変えたいという気持ちは、確かにここにあります。
私は、もっと人に優しくなりたい。
もっと愛嬌のある人間になって、生きやすくなりたい。
これは、私の小さな願いであり、これからの課題です。
ここまで読んでくださったあなたが、もし「自分もそうかも」と感じたなら——。
一緒に、少しずつ変わっていきませんか?
笑顔をひとつ、増やすところから。


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