こんにちは、奨学金男です。
今日の記事は、少しだけ“嬉しい報告”です。
正直、私のような小さなブログには縁のない話だと思っていました。
でも、ブログを100日以上続けていたら――まさかの「クローズドASP」から案件の依頼が届きました。
アクセス数なんて、ほとんどゼロの日もある。
検索からの流入も、SNSでの拡散もほとんどない。
「誰も見ていないんじゃないか」と何度も思った。
そんな“弱小ブログ”でも、どこかで誰かが見てくれていた。
今日は、その小さな出来事を通して感じたことを、素直に書きたいと思います。
「クローズドASP」って何?
まず、少しだけ説明します。
「ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)」というのは、企業の広告を扱う仲介サービスのことです。
その中でも「クローズドASP」と呼ばれるのは、基本的に“招待制”のサービス。
自分から登録できるものではなく、ASP側から声がかかって初めて参加できる仕組みになっています。
つまり、「あなたのブログを見て、ぜひ紹介してほしい」と声をかけてもらう。
そういう“指名”のようなものです。
……とはいえ、私は正直、信じられませんでした。
100日続けても、数字は動かなかった
私はこのブログを、2025年の夏前から書き始めました。
「脱・弱者男性」「貧困」「奨学金返済」という、正直に言えば“重いテーマ”を扱っています。
いわゆるバズるような内容ではないし、明るい話でもありません。
書き始めのころは、「誰かが同じように苦しんでいるなら、届いてほしい」という一心でした。
でも現実は、甘くなかった。
記事を更新しても、アクセスはほとんど増えない。
毎日書いても、PVは1とか2とか。
「100日連続更新」をした日だけ、かろうじて2桁の人に見られました。
夜中にパソコンの前で記事を投稿して、「今日も誰も読まなかったな」と思いながら眠る。
そんな日が何度もありました。
それでも、やめなかった。
理由はシンプルで、
「書くこと」そのものが、自分の生きる証のように感じていたからです。
そして、メールが届いた
そんなある日、仕事を終えてスマホを開くと、一通のメールが届いていました。
クローズドASPからの依頼です。
最初はスパムだと思いました。
「どうせ何かの営業メールだろう」と。
でも、読んでみると、
そこには確かに、私のブログタイトルとURLが書かれていました。
……嘘だろ、と思いました。
アクセス数なんてほとんどない。
SNSのフォロワーも少ない。
SEOで上位表示されている記事もない。
そんな私のブログを、誰がどうやって見つけたのか。
驚きと同時に、胸の奥がじんわりと熱くなりました。
「誰も見ていない」は、嘘だった
私はこれまで何度も、「誰も見ていない」と口にしてきました。
でも、そのメールを読んだ瞬間、少しだけ考えが変わりました。
たとえ数字がゼロでも、
誰か一人の目に留まっていた。
たとえコメントがなくても、
文章の中から何かを感じ取ってくれた人がいた。
そう思うと、これまで積み上げてきた100日が、ようやく報われた気がしました。
今回の案件は「紹介できない」
ここまで読んで、「じゃあどんな案件なの?」と思う方もいるかもしれません。
……正直に言います。
今回の依頼内容は、私が実際に使ったことのないものでした。
しかも、内容的に自分のブログのテーマとは少しずれていました。
だから今回は、紹介しないことにしました。
これは私の中で決めているルールです。
「自分が使っていないもの、信じていないものは紹介しない」。
もしお金や条件に飛びついてしまったら、
このブログが「誰かを救うための場所」ではなく、
「お金のための場所」になってしまう。
それだけは、絶対に避けたかった。
「続けてきたこと」自体が、もう成果だった
たしかに、今回は案件を見送ることになりました。
でも、不思議と後悔はありません。
むしろ、「ああ、自分も少しずつ評価されているんだな」と実感できた。
アクセス数ではなく、“誰かの目に留まった”という事実が、何よりも嬉しかった。
ブログを書き続けていると、時々“数字”に心を削られます。
PV、滞在時間、クリック率。
どれも大事だけど、数字ばかり見ていると、心が折れてしまう。
けれど、今回の出来事でわかったのは、
「数字にならない評価も、ちゃんと存在している」ということ。
それは、アクセス解析には映らない“見えない信頼”です。
「生きている証」を、誰かが見つけてくれた
このブログを始めたきっかけは、「奨学金を返しながら生きている現実を残しておきたい」という思いでした。
私は高校2年で父を亡くし、母子家庭で育ちました。
3浪して、6年制の私立大学へ進み、国家資格を取った。
その代償が、2100万円を超える奨学金と教育ローン。
毎月の返済額を考えれば、正直、心が折れそうになる。
それでも、なんとか働いて、なんとか生きている。
そんな現実を書き残すことが、
「生きている証」になればいいと思って始めたブログ。
そこに、どこの誰かもわからない人が“価値”を見つけてくれた。
それだけで、救われた気がしました。
「弱小ブログ」でも、ちゃんと見られている
このブログは、派手なテーマでも、楽しいエンタメでもありません。
むしろ地味で、重くて、読んでいて暗くなるかもしれない。
それでも、現実をまっすぐに書いてきた。
「借金がある人生」も、
「貧困に苦しむ日々」も、
「自分の弱さ」も、
全部ひっくるめて、“それでも生きている”という記録です。
そんな小さなブログでも、ちゃんと誰かが見てくれていた。
それを教えてくれたのが、今回のクローズドASPからの依頼でした。
「継続」は、数字を超える力を持っている
100日続けること。
それは、見た目ほど簡単じゃありません。
ネタが尽きる日もある。
仕事で疲れて、何も書けない日もある。
それでもパソコンを開き、「今日も1記事だけ」と打ち込む。
その積み重ねが、100日。
継続は、地味だけど最強の武器です。
もし、今ブログを書いていて「誰も読んでいない」と感じている人がいたら、
どうかもう少しだけ、続けてみてください。
あなたの文章を、見ている人は必ずいます。
それが数字に現れるのは、ずっと先かもしれない。
でも、その“見えない誰か”が、あなたを次のステップに導いてくれる。
私がそうだったように。
そして、また書き続ける
クローズドASPからの依頼をもらった日、
スマホを見ながら、少しだけ泣きそうになりました。
「やっと、誰かに届いたんだ」と思ったら、
ここまでの100日間の孤独が、少しだけ報われた気がしたからです。
これからも、私は書きます。
奨学金を返しながら、貧困と闘いながら、
それでも「生きる」ということを言葉にしていきたい。
たとえアクセス数がゼロの日があっても、
その先にいる“見えない誰か”のために。
さいごに
今回の出来事で感じたのは、
「結果が出ない時間にも、意味はある」ということでした。
私はまだ何者でもない。
でも、100日間書き続けて、ようやく“スタートライン”に立てた気がします。
そして思うんです。
「継続できる人」こそ、ほんとうに強い人だと。
アクセスがなくても、収益がなくても、
誰かの心に残る言葉を書けるように。
私は、これからもここで生きていきます。
この記事は、ブログの継続が生んだ小さな奇跡を記録したものです。
同じように「誰にも見られていない」と感じている人へ。
あなたの努力も、きっと誰かに届いています。


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