こんにちは、奨学金男です。
今回は、アメリカ出張で自分の無力さを痛感した体験と、そこから何一つ変われなかった自分に向き合う記事です。この記事は、以下のような方に届いてほしいと思っています:
- 奨学金返済で苦しんでいる人
- 貧困家庭や母子家庭で育った人
- 「自分は弱者男性かもしれない」と感じる人
- チャンスをもらっても活かせず、自己嫌悪している人
私のプロフィールについて少し触れておくと、高校2年のときに父を亡くし、母子家庭で育ちました。大学には3浪して入学。私立の6年制大学に通い、国家資格を取得。奨学金の総額は2100万円以上。身長は168cm、独身の30代です。
そんな私が、アメリカ出張という「チャンス」をもらいながらも、何も得られず、ただ自分のダメさに打ちのめされた2週間の話をします。
アメリカ出張、まさか自分が行けるとは思っていなかった
「アメリカ出張、行ってみないか?」
そう言われたとき、正直、舞い上がりました。これまでの人生、いつも後手後手。親の支援もない。時間もお金もなく、学歴もキャリアも他人より出遅れている。そんな自分に巡ってきた「海外出張」という華やかな機会。
とはいえ、英語には不安がありました。大学受験では英語が鬼門で、3浪の主因の一つ。国家資格取得後も英語を使う機会なんて皆無。それでも「なんとかなるだろう」と思っていました。
そして迎えた渡航日。向かったのはアメリカ・中西部の某州。ロサンゼルスやニューヨークのような日本人の多い都市ではなく、ローカル色の強い地域。つまり、英語が通じなければ何もできない世界でした。
英語が、通じない。自分が、通じない。
空港に降り立ったその日から、私は言語の壁に打ちのめされました。
入国審査でまず何度も聞き返し、相手は呆れた顔でゆっくりと話してくれました。
ホテルのチェックインでもフロントが何を言っているかわからず、とりあえず「OK」と適当に返答していました。
出張先の現場でも同様でした。通訳もいない。現地のスタッフが笑顔で話しかけてくれるけれど、私は「Sorry… I am not good at English」と言うのが精一杯。
毎日が、泣きたくなるほどつらかった。
夜、ホテルに戻ってから聞き取りの特訓をすればいいものの、メンタルがぐちゃぐちゃで、寝るしかできませんでした。そして、リアルタイムで通じない言葉は、その場では「沈黙」でしかありませんでした。
自分に絶望した日々、それでも何もしない自分
帰国のフライトで、私はこう思いました。
「帰ったら、絶対に英語を勉強しよう。じゃないと、また同じことの繰り返しだ。」
そう誓って、日本に戻りました。
ですが――。
帰国して3日、何もしていません。
結局、自分はやれない人間なんだと思い知らされました。
弱者男性のリアル:やらなきゃと思っても、動けない理由
なぜ、やれないのか?
「甘え」「怠け」「自己責任」と言われたら、それはたぶん正しいです。
勉強したくても、時間がない。
やりたいことがあっても、金がない。
何より、自信がない。
「今さら何やっても、意味ないんじゃないか」
そう思う自分が、心のどこかにずっといる。
本当に「弱者男性」は努力不足なのか?
インターネットを見れば、「貧困は自己責任」「努力すれば報われる」「学ばない奴が悪い」といった言葉が並びます。
でも、努力できる環境と、そうでない環境があるのも事実です。
私のように親が早くに亡くなり、学費をすべて借金で賄い、毎月の返済に追われている人間が、何かに挑戦するには「大きな覚悟」が要ります。
自分を変えたい、でも変えるエネルギーがない。
それが、私のような「やれない人間」のリアルです。
それでも「やれる自分」になりたい
じゃあもう一生このままなのか。
そう問われると、私は「NO」と答えたい。
たしかに、今の私は「やれない人間」です。
でも、「やりたい人間」ではあります。
あのアメリカ出張で味わった無力感、悔しさ、惨めさ。
あれを忘れたくない。
だからこうして、ブログを書いています。
誰かに見てもらいたくて。
誰かに「わかる」と言ってもらいたくて。
そして、自分に「変われ」と言い聞かせるために。
最後に:あなたが「やれない人間」でも、大丈夫です
私のように、奨学金で人生が縛られている人。
貧困家庭で希望を見出せない人。
チャンスをもらっても活かせない自分に絶望している人。
そんなあなたに、伝えたい。
「やれない」ことは、罪じゃない。
ただ、そこで終わらずに「やりたい」と思うことが、未来につながる一歩です。
私も、まだ英語は勉強していません。
でも、このブログを書いたことで少しだけ「次こそは」と思えています。
あなたも、自分を責めすぎずに、ほんの少し前を向いてみてください。
一緒に、ゆっくり変わっていきましょう。
コメント