こんにちは、奨学金男です。
昨日のブログで「初めてアメリカに来た」体験について書きましたが、今日も絶望を感じています。そのことを記録しておきたいと思います。
今日も会話についていけなかった
正直に言います。今日も、まったく会話についていけませんでした。
相手が何を言っているのか、全くわからない。途中で知っている単語がたまに運よく聞こえてくるけど、相手が話している意味は全く分からない。
途中、うなずいたり、愛想笑いをしてごまかそうとするけれど、頭の中は真っ白。
自分だけが「理解できない人間」として、会議室に取り残されている感覚でした。
「ここに自分がいる意味はあるのか」
「俺は何のために来たんだ」
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回り、泣きそうになるのを必死にこらえました。
劣等感の正体
日本にいるときから「弱者男性」としての生きづらさを感じてきました。
それが異国に来ると、さらに拡大されます。
「英語ができない」ことが、新しい「弱さ」のラベルとして自分を縛ってくるのです。
奨学金2100万円。背負っている借金の重さは変わらない。
だけど、こうしてアメリカで生きる中で、その鎖は「劣等感」や「孤独感」と絡み合い、心を締め付けます。
それでも逃げられない
それでも私は逃げ帰ることができません。
ここで残りの日々を過ごさなくてはいけません。
逃げ場なんて、どこにもない。
だからこそ、ここで踏ん張るしかない。
たとえ会話についていけなくても、
たとえ心が折れそうでも、
「奨学金男」として、弱者なりに生き抜くしかないのです。
同じように苦しむ人へ
もしかしたら、私と同じように海外で「会話についていけず泣きそうになっている人」がいるかもしれません。
それは決して「自分だけの弱さ」ではありません。
異国で生きるということは、それだけ過酷で、それだけ孤独で、そしてそれだけ価値のある挑戦だと思います。
泣きそうでも、恥ずかしくても。
今日も必死に生きた、という事実が、きっと未来につながる。
私はそう信じて、明日もまた戦い続けます。
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