無自覚な『何者かになりたい』という呪い。等身大の自分を認めようとするまで

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こんにちは。奨学金男です。
私についてはこちらの記事を読んでください。

「いつからだろう。
“何者かにならなきゃいけない”って、無自覚に思い込んでいたのは。」

身長168cm、独身。
母子家庭で育ち、3浪して6年制の大学に通い、国家資格を取得した。
そして今、背負っている奨学金の総額は、利子を含めて2100万円。
この事実を、声を大にして誰かに言える日は、来ないと思っていた。

ずっと、自分から目を背けていた。


高校2年のとき、父が亡くなった。
それからは母はひとりで私を育ててくれた。
大学進学は「行くべきもの」と思い込んでいたけど、現実には学費も生活費も足りず、バイトと奨学金に頼るしかなかった。

しかも、現役では合格できなかった。
一浪、二浪、三浪。
浪人を重ねるごとに、受からなければいけない大学のハードルは上がっていった。
MARCH以下はFランとすら思っていた。
そんなことないのに。
気づけば周囲の同級生は社会人になっていた。
私はようやく大学の門をくぐり、そこからさらに6年。
国家資格を取るため、なんとかストレートで卒業した。

その頃には、奨学金は軽く4桁を超えていた。
毎月の返済額はあまり気にしていなかった。


私は、なんとか手に入れた資格で、ちゃんとした人生を取り戻せると思っていた。
社会に出て、ある程度稼げて、きっと普通の幸せを手に入れられるんじゃないかと。

でも違った。

資格があっても、人生は急に輝き出したりしない。
仕事にやりがいを持てる日もあれば、無力感に押し潰されそうな日もある。
貯金は増えないし、結婚の予定もない。
SNSを開けば、高収入・高身長・高学歴の“勝ち組”男性たちが、彼女と旅行、マイホーム、外車、子育て、全部そろえて笑っていた。

そういうのを見るたびに、胸が苦しくなる。
「この世界で、自分は生きる価値があるのだろうか」って。


“弱者男性”って言葉がある。
最初に見たとき、胸がざわついた。

どこかで自分に当てはまる部分が多すぎて、
「まるで自分のことを言っているようだ」と思った。
でも認めたくなかった。

身長も低い。
家も貧しい。
学歴はあっても、人より何倍も遠回りしてようやく手に入れたものだ。
しかも借金付き。
恋愛経験も少ないし、人付き合いも苦手で友達はいない。
そして、これといった誇れる成功体験もない。

SNSの中の“勝ち組”たちのリアルを見れば見るほど、私のリアルは“惨敗”だった。


そんな私が、ずっと無意識に抱えていたのが
「何者かになりたい」という気持ちだ。

誰かにすごいって思われたい。
自分だけの強みを手に入れたい。
この地味で退屈で、価値があるのか分からない日常から抜け出したい。

でも、それって裏を返せば
「今の自分は価値がない」と思っているってことだった。

どこかで、“成功”しなければ、“何者か”にならなければ、
人生は救われないと思っていた。
それが、気づけば“呪い”になっていた。


時間は全員に等しく分け与えられる。
年齢はただの数字にしかすぎず、どう生きたかは反映されない。
ただただ、無駄に年を取っていただけだった。

だからこのブログを始めた。
ありのままの自分を書き記して、少しでも成長を感じられるように記録をしていく。
弱者男性にならないように。
ここまで育ててくれた母が恥ずかしい思いをしないように。

「こんな自分でも、言葉にすれば誰かの役に立つかもしれない」と思いたい。


周りの人たちは、奨学金をたくさん借りていると知ると、
「大変そうだね」、「頑張っていて偉いね」と言ってくれる。

3浪して大学に行ったことを知ると、
「そこまで努力できるなんてすごい」と言ってくれる。

結婚の予定も相手もいないというと、
「すぐにいい人できると」と言ってくれる。

でも、実際はこう思われているかもしれない。
「奨学金2100万円返してるって、やばくない?」
「3浪してたの?時間もったいなくない?」
「結婚できると思ってるの?」

周りの人は優しい。でも、本当の評価は分からない。


今の僕に、すごい経歴も実績もない。
でも、それでもいいと思える瞬間が増えてきた。

“何者かにならなきゃいけない”という呪いは、まだ完全には解けていない。
でも、少なくとも“今のままの自分”を、全否定はしないでいようと思えるようになった。

このブログが、同じように悩む誰かの“逃げ道”になればいい。
そして、少しだけ生きやすくなるきっかけになれば嬉しい。

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