借金があると「働く理由」が明確になる──2100万円を背負った男のリアル

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。

このブログでは、「奨学金返済に苦しんでいる方」「進学したいけれどお金の不安がある方」「弱者男性として生きづらさを感じている方」に向けて、私自身の実体験を綴っています。

私についてはこちらの記事を読んでください。

前回の記事では、「奨学金が仕事選びに与える影響」について書きました。

今回はその延長線上の話です。

テーマは「借金があると働く理由が明確になる」という話。

この記事では、

  • 借金があることで得られる“強制力”
  • 精神論ではなく、現実論としてのモチベーション
  • 借金をポジティブに捉える視点
  • 弱者男性として、借金を「利用する」思考

について、赤裸々に書いていきます。


お笑い芸人が「借金しろ」と言われる理由

私がこのテーマについて書こうと思ったのは、あるお笑い芸人のエピソードがきっかけでした。

あるお笑い芸人が、先輩からこんなアドバイスを受けたそうです(私の記憶の中のエピソードなので、正確ではないかもしれません)。

「芸人なら、借金をしろ。」

最初は意味がわかりませんでした。

でも、よく考えるとこれは本質を突いている言葉です。

「夢を追いたいなら、退路を断て。背水の陣で臨め」

こう言われているのと同じです。

もちろん、これは全員に当てはまる話ではありません。無責任に借金を勧めるつもりは毛頭ありません。
むしろ芸人なら借金も話の肥やしにしろという意味もあるかもしれません。

ですが、実際に借金を背負っている私だからこそ、「借金が働く理由になる」という側面について書く意義があると感じました。


借金をしたら、「働かざるを得ない」状態が生まれる

私は、2100万円以上の負債をを抱えて社会に出ました。

内訳は、日本学生支援機構の第一種・第二種の奨学金、教育ローンなど。

毎月、給料から引き落とされる──そう考えたとき、

「働かない」という選択肢は一切なくなりました。

  • 「嫌なことがあったから辞めたい」
  • 「燃え尽きたからしばらく休みたい」
  • 「転職して自分を見つめ直したい」

世の中にはこうした選択を取る人もいます。

ですが、私にはそれができません。

なぜなら、「返済」という逃げられない現実があるからです。
もし返せなければ保証人となっている母に迷惑が掛かります。


「借金=鎖」ではない。「借金=エンジン」になる

奨学金を含む借金は、多くの人にとって“人生の足かせ”です。

実際、私もかつてはそう感じていました。

  • 「なんで自分だけ、こんなに背負わなきゃいけないんだ」
  • 「もう全部放り出したい」
  • 「生きているだけで、マイナススタートじゃないか」

でも、ある日ふと気づきました。

借金があるからこそ、自分は「行動している」んじゃないか?

朝、布団から出られない日もあった。

でも、最終的には仕事に行く。

それは、奨学金という名の“エンジン”が、私を動かしているからです。

「働かないと、返せない」
「返せなければ、人生が詰む」

この明確な理由があるから、私は今日も働いています。


モチベーションが湧かなくても、借金は待ってくれない

やりがいのある仕事に就けたとしても、モチベーションが安定して続くとは限りません。

  • 成果が出ないとき
  • 人間関係で悩んでいるとき
  • 自分の存在価値がわからなくなるとき

どんな仕事でも、そんな瞬間は訪れます。

ですが、借金はそんな私の心理状況には一切関係ありません。

「待ったなし」で請求される返済額が、現実に戻してくれます。

「今日も仕事、行きたくないな」と思っても、
「でも、返済があるからな」と思って身体を動かす。

このサイクルが、ある種の自動運転モードのように機能します。

モチベーションではなく、構造で働く。

これは一見ネガティブですが、「続ける」という意味では非常に有効です。


精神論では続かない。でも、借金は続けさせてくれる

自己啓発本には、こう書かれていたりします。

「やりたいことを見つけろ」
「好きなことを仕事にしよう」
「人生は一度きり、後悔のない選択を」

もちろん、それができるなら理想です。

でも現実には、そんな余裕がない人間もいる

借金があることで、「後悔しない人生」ではなく、「とりあえず生き抜く人生」を選ばざるを得ない。

しかし、それでも「生きている」。

これこそが、借金の“逆説的な恩恵”なのです。


弱者男性としての「逃げられない構造」を逆手に取る

私は身長168cm、独身、母子家庭育ち、3浪、国家資格持ち、奨学金2100万円超の男です。

世間的に見て、「勝ち組」ではありません。

恋愛や結婚では、自信を持てないことのほうが多いです。

そんな私が「ブログで発信を続けている」のも、実は借金が関係しています。

  • 発信をやめたら、ただの“負け組”になる
  • 発信を続ければ、“誰かの参考”になれる

この分かれ道で、借金が「発信の継続動機」になっているのです。

もし私が裕福な家に生まれ、何の苦労もなく国家資格を取っていたら──

たぶん、ブログなんてやっていません。


借金を「自己責任」で終わらせないために

ここまで読むと、「借金をポジティブに捉えよう」みたいな内容に感じるかもしれません。

でも、私は「借金は絶対にしないほうがいい」と思っています。

ただ、すでに借金がある人間として、せめてその借金を“力”に変えたい。

そう思って、このブログを書いています。

奨学金は「学生を支援する制度」であると同時に、「未来の自分に背負わせるローン」です。

そのことを、借りる前にちゃんと理解してほしい。

そして、すでに借りてしまった人には、

「その借金を利用して、逃げられない構造を作れ」

と伝えたい。


さいごに──借金があるから、今日も働いている

私は、今も毎月返済し続けています。

20年かけて返していく予定ですが、その間にどんな人生が待っているかはわかりません。

でも一つだけ、確実に言えることがあります。

「借金があるから、私は働いている」

これは悲しいことではなく、誇ってもいいことだと最近は思えるようになってきました。

「逃げられないから続けられる」
「働かなきゃいけないから、生きていられる」

それもまた、一つの人生の形ではないでしょうか。

あなたがもし、同じように借金を抱えて苦しんでいるなら、

私はここにいます。あなたのそばに、同じような重さを背負って立っている一人の人間として。

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