デブは安上がり、ダイエットは贅沢|貧困と食生活の残酷な真実

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。

「太るのは自己責任」なんて言葉を、何度聞いただろう。
でも、実際には“太ることのほうが安上がり”だ。
コンビニのカップ麺や半額弁当は、安くて腹が満たせる。
一方で、鶏むね肉やブロッコリー、プロテインを買い続けるのは、想像以上にお金がかかる。
──つまり、ダイエットとは“贅沢な行為”なのだ。
奨学金の返済に追われる中で気づいた、貧困と食生活の残酷な関係。
この記事では、「痩せること=余裕を持つこと」だと感じた私のリアルな体験を綴ります。

太った自分を見てダイエットを思い立つ

最近、ふと鏡を見たときに思いました。
「あれ、太ったな」と。

太った自分を見て、ダイエットをしようと思ったのですが、
いざ始めようとすると、すぐに壁にぶつかります。
「金が、かかる。」

健康的に痩せるというのは、想像以上に“贅沢”なことです。
この国では、太るのは安上がりなのに、痩せるには金がいる。
──そう痛感しています。


安くて高カロリーな「貧困飯」

私は毎月、奨学金の返済を続けながら生活しています。
家賃、光熱費、食費。
そして奨学金の返済。
手元に残るお金なんて、ほんのわずかです。

本来であれば自炊すべきなのでしょうが、そんな時間と気力はありません。
そんな中で、食費を削るとなると、選択肢は限られてきます。

・スーパーの半額弁当
・カップ麺

どれも手軽で、腹は満たせます。
そして、これらの共通点は「高カロリー・低栄養」です。
つまり、“太るための食事”なんです。

貧困な人間ほど太りやすいと言われますが、
それは怠惰ではなく「そうならざるを得ない」構造がある。
少ないお金で満腹になろうと思ったら、
炭水化物と脂質に頼るしかないんです。


ダイエットを始める=出費が増える

「よし、痩せよう」と思って調べてみると、
ダイエット食材の価格の高さに驚かされます。

・鶏むね肉(皮なし)
・ブロッコリー
・オートミール
・プロテイン
・サラダチキン
・オリーブオイル
・ナッツ類

これらはどれも“健康に良い”とされる食品ですが、
毎日続けるとなると、かなりの金額になります。

たとえば、コンビニで買えるカップ麺は200円前後。
対して、サラダチキン1個は250円前後。
しかも腹にたまらない。
結果的に、栄養は取れても満足感がない。
「金は減るのに、腹も減る」という最悪の構図です。

さらに追い打ちをかけるのが“ジム代”。
月7,000円とか、1万円とか。
私にとっては、もはや夢のような支出です。
「お金を払って運動する」なんて、まるで別世界の話です。


「太る自由」はあっても「痩せる権利」はないのか

社会は「自己管理できない人間」として、
太った人を軽視しがちです。

でも、痩せるための環境を整えるには金が要る。
つまり、“自己管理できる人間”になるには、
まず経済的な余裕が必要なんです。

夜遅くまで働いて帰ってきて、
自炊する時間も気力もない。
結局コンビニなどで済ませてしまう。
そんな生活をしていて、どうして体を整えられるでしょうか。

テレビで見る「美ボディ」や「糖質制限」なんて、
もはや別の階層の人間がやっていることのように感じます。
痩せている=努力家ではなく、
「痩せるためにお金を使える人」という構図が透けて見えます。


貧困層ほど「自炊が高くつく」現実

「節約するなら自炊が一番」とよく言われますが、
それは“初期投資ができる人”の話です。

包丁、まな板、鍋、調味料、冷凍庫のスペース。
それらを揃えるだけでも、出費はバカになりません。
しかも、安い材料はまとめ買いが前提。
単身貧困者には、それを保存する冷凍庫が小さすぎる。
また、使い切れずに腐らせてしまうこともしばしば。

結果的に、自炊してもコスパが悪くなる。
それならコンビニの100円パンで済ませた方が安い。
そうやって“安く太っていく”わけです。


「健康は贅沢品」になってしまった社会

「健康でいたい」というのは、
人間として当たり前の願いのはずです。
でも現実は、「健康になるには金がかかる」。

プロテインを買う、野菜を食べる、運動する──
それらすべてが“支出”になる。
一方で、安いカップ麺やスナック菓子、甘いパンは、
“すぐ手に入る幸福”をくれる。

だからこそ、貧困層ほど不健康になりやすい。
健康すら「お金持ちの特権」になりつつあります。


SNSの「意識高い系ダイエット」に疲れる

Instagramを開けば、「今日のヘルシー弁当」や
「高たんぱく・低脂質料理」などが並んでいます。
でも、彼らが使っている食材の値段を見れば、
ため息が出ます。

アボカド、鶏むね肉、雑穀米、ギリシャヨーグルト……
どれも高い。
そして、どれも賞味期限が短い。

私のように、多額の奨学金を返済しながら生きている人間にとって、
そんな生活は“現実離れ”しています。
SNSを見れば見るほど、「自分が下層なんだ」と突きつけられる。
そして、また安い炭水化物に手が伸びる。


「食うために働く」だけの人生から抜け出したい

太っているのは、見た目の問題だけじゃない。
「生きるために食べる」という最低限の行為が、
貧困によって歪められている現実の象徴なんです。

仕事に疲れて、深夜にコンビニ弁当を買う。
栄養よりも「とにかく満腹になりたい」が勝つ。
そんな毎日を繰り返していると、
体だけでなく心まで重くなっていく気がします。

「痩せる」という言葉の裏には、
「余裕を取り戻す」という意味もあるのかもしれません。


結局、ダイエットは“金と時間”の戦い

「食事を整える」「運動する」「睡眠を取る」。
これらは、どれも“時間とお金”が必要です。

安くて早くて腹が膨れる食事。
それが現代の貧困層の主食になっている以上、
「デブは自己責任だ」と切り捨てるのは、あまりに残酷です。

本来、健康でいることは権利であるべきなのに、
この国では“金のある人だけが健康を買える”構造になっている。
だから私は、太っていても恥じないようにしようと思っています。
だって、痩せるには贅沢が要るから。


それでも、少しずつ変えていく

それでも、できる範囲で変えていこうと思っています。
安い食材でも、選び方を工夫すれば少しは違う。

・鶏むね肉をまとめてゆでて冷凍
・納豆を常備する
・米に雑穀を混ぜる
・揚げ物を減らす
・水を多めに飲む

これくらいなら、ギリギリ続けられます。
完璧じゃなくても、“マシな選択”を積み重ねることが、
少しだけ心を軽くしてくれる。


まとめ:痩せることは、経済的自由の象徴

「デブは安上がり、ダイエットは贅沢」
──それはただの言葉遊びじゃありません。

太ることは、生きるための最適化。
痩せることは、余裕の証明。

貧困の中で「健康的に痩せる」というのは、
実は相当な覚悟と努力、そしてお金が必要です。

だからこそ、私は声を大にして言いたい。
太っていることを、恥じなくていい。
それは、あなたが「生き延びている証拠」なんだから。

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