寝すぎる休日に自己嫌悪疲れが取れない|「長時間睡眠」の罠

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。

休日、気づけば「寝すぎて1日が終わっていた」──そんな経験、ありませんか?
私もよくあります。ひどいときは、ご飯を食べる以外はずっと寝ていて、気づけば夜になっています。
そして、今日もそんな日でした。

「これで少しはスッキリしただろう」と思いたいのに、起きたときには頭が痛く、体もだるく、心は自己嫌悪でいっぱいです。
「せっかくの休日を無駄にした」
「他の人は頑張っているのに、自分は何をしているんだろう」

そんなふうに、寝すぎた自分を責めて、さらに疲れてしまう──これが私の“休日あるある”です。

今日は、そんな「寝すぎる休日」に隠れたデメリットと、そこから少し抜け出すために私が考えたことを書いていこうと思います。


寝すぎてしまう理由:疲れているのは体だけじゃない

まず、なぜ寝すぎてしまうのか。
私の場合、その理由は「体の疲れ」だけではありません。

平日は仕事に追われ、心身ともに消耗しています。
仕事のストレス、将来への不安、そして2100万円を超える奨学金の返済──。
それらが積み重なって、「何もしたくない」「とにかく眠っていたい」という状態になるのです。

眠ることは、ある意味で「現実逃避」です。
起きている間は、お金のこと、仕事のこと、老後のことなど、考えたくない現実が次々に頭をよぎります。
でも、寝ている間だけは、そうした思考から解放される。
だから、つい布団から出られなくなるのです。


寝すぎると逆に疲れる:「長時間睡眠」の落とし穴

「寝れば疲れが取れる」というのは半分正解で、半分間違いです。

確かに睡眠は、体と脳を回復させる大切な時間です。
けれど、寝すぎると睡眠のリズムが崩れて、逆に疲労感が強くなることがあります。

医学的にも、以下のようなデメリットが報告されています。

  • 頭痛(特に偏頭痛)が起こりやすくなる
  • 自律神経のバランスが乱れてだるくなる
  • 夜に眠れなくなり、翌日の生活リズムが崩れる
  • 気分が落ち込みやすくなる

私も、昼過ぎまで寝た日ほど、頭が重く、心も沈むことが多いです。
それでも、なぜか「もっと寝れば元気になるはず」と思って、再び布団に戻ってしまう。
結果、夕方に目覚めて、後悔する──毎回同じパターンの繰り返しです。


寝すぎた日の「罪悪感」が心をむしばむ

寝すぎた後に感じる、あの強烈な罪悪感
「ああ、今日も何もできなかった」
「こんな自分が情けない」

その感情が一番つらい。

おそらく、奨学金返済や貧困に苦しむ人ほど、この罪悪感は強くなると思います。
なぜなら、「自分には時間もお金もない」と常に感じているからです。
だからこそ、「せっかくの休日を無駄にした」という後悔が心に刺さる。

でも冷静に考えれば、私たちは「休む資格がないわけじゃない」。
ただ、社会やSNSの「努力至上主義」が、それを許してくれないだけなんです。

「休む=怠け」
「寝てる=生産性がない」

そんな価値観の中で生きていると、どんな休息も罪悪感に変わってしまいます。


「寝すぎる休日」から抜け出すために、私が試す3つの工夫

寝すぎをやめたいと思っても、根性論ではなかなか無理です。
私がこれから改善するためにやる3つのことを挙げていきます。

「完璧を目指さない休み方」を意識していきます。

① 「午前中に外に出る」だけでもいい

朝起きて外に出るのがつらいときは、
「とりあえずコンビニまで行く」「朝日を浴びる」くらいで十分です。

太陽の光を浴びることで体内時計がリセットされ、夜の眠りも深くなります。
まずは体内時計を狂わせないことを頑張ろうと思います。

② 「罪悪感」を“名前”で受け止める

心理学では、「感情に名前をつける」と客観視しやすくなると言われています。
私は、寝すぎた日の夕方に「今、罪悪感を感じてるな」とつぶやくようにします。

不思議なもので、言葉にするだけで気持ちが少し軽くなる。
「またやってしまった」ではなく、「そういう日もある」と受け止められるようになりたいです。

③ 「小さな達成感」を一つだけ作る

たとえ1日寝て過ごしても、小さな行動を一つだけやると気持ちが違います。
私の場合、「洗濯を回す」「ゴミを出す」「風呂に入る」など。
それができただけで、「今日は完全に無駄ではなかった」と思える。

行動のハードルを下げることが、自己嫌悪から抜け出す一歩となると思います。


寝すぎを「悪」と決めつけない

私は今まで、「寝すぎる=怠け者」だと思っていました。
でも今は少し違う見方をしています。

人は、疲れているときしか寝すぎない
つまり、それだけ頑張っている証拠なんです。

社会の中で弱者として踏ん張っている人ほど、心身の疲れは大きい。
奨学金の返済を抱えている人は、将来への不安やプレッシャーが常にあります。
そんな中で「寝すぎた」と自分を責めるのは、あまりにも酷です。

むしろ、「よくここまで頑張った」と、自分を労うべきなのかもしれません。


「疲れ」と「無気力」は違う

寝すぎてしまうとき、私は自分が「怠けている」と思っていました。
でも本当は、心が疲れ切っていただけでした。

疲れは休めば回復するけれど、無気力は「希望の欠如」から生まれます。
私が寝てばかりいたときは、
「頑張っても報われない」
「奨学金を返しても何も残らない」
そんな無力感が根底にありました。

だからこそ、寝すぎを防ぐには「生活リズム」だけでなく、「希望のリズム」を取り戻す必要があります。


希望を少しずつ取り戻すということ

最近、私は「小さな目標」を立てるようにしています。
それは壮大な夢ではなく、
「今日は家計簿をつける」
「ブログを1行書く」
「スーパーで値引きシールの惣菜を見つける」──そんなレベルでいいんです。

そうやって日常の中に“生きている実感”を少しずつ積み重ねていくと、
不思議と寝すぎる日も減ってきます。

「生きていたい」と思えると、人は自然と起き上がれる。
寝ることよりも、「起きる理由」が大事なんだと、最近ようやくわかりました。


おわりに:寝すぎる自分を責めないでほしい

もしこの記事を読んでいるあなたが、
「今日も寝すぎてしまった」と自己嫌悪しているなら、伝えたいことがあります。

寝すぎるあなたは、怠け者ではありません。
それだけ疲れているんです。
社会の中で踏ん張り続けて、もう限界ギリギリまで頑張っている証拠です。

「何もできなかった日」も、「生きていた日」として数えていい。
それだけで十分です。

私もまだ、寝すぎる休日があります。
でも、少しずつ「それでもいい」と思えるようになりました。
完璧じゃなくても、前に進む。
それが、奨学金2100万円を抱えながらも、今日を生きる私の現実です。

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