「文字通り、働かないと生きられない」|貧困と奨学金返済の中で見えた現実

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。

今日は、「働かないと生きられない」という、当たり前のようで、どこか刺さる言葉について書いてみたいと思います。

最近は、SNSやメディアで「ワークライフバランス」や「ゆとりある働き方」という言葉をよく見かけます。
確かに、それが実現できる人にとっては理想的でしょう。
でも、現実には「働くか、死ぬか」くらいの極端な選択肢しかない人間もいる。
少なくとも、私はずっとそうでした。


■ 貧困の中で始まった「働かざるを得ない人生」

私の人生を簡単に言えば、「お金に追われ続けてきた人生」です。
高校2年のときに父を亡くし、母子家庭になりました。
母はパートで家計を支え、私の学費はほとんど奨学金。

結果的に、借りた奨学金の総額は2100万円以上
6年制の私立大学を出て国家資格を取ったものの、返済の重さは社会人になっても消えることはありません。

毎月、口座から自動で引かれていく返済額を見るたびに、
「働かないと、次の月に生きていけない」
そんな現実を突きつけられます。


■ 「ワークライフバランス」という言葉が遠すぎた

社会に出て感じたのは、「余裕がある人ほど“働き方改革”を語る」という皮肉な構造です。
SNSで「人生は仕事だけじゃない」と言えるのは、ある程度の資産がある人か、家族に支えられている人です。

私のように、実家にお金の余裕もなく、奨学金返済がのしかかっている人間は、
「働き方を選ぶ自由」なんて存在しません。

正直、ブラックな環境でも、辞めるという選択肢はなかった。
辞めた瞬間、収入が止まり、奨学金の返済が滞る。
滞納すれば延滞金がつき、信用情報に傷がつく。
「働く」という行為は、もはや“生存行動”そのものでした。


■ 疲れても、体調を崩しても、働くしかない

私は20代の後半で、一度、過労で倒れたことがあります。
休日出勤や深夜残業が続き、体調を崩しても病院に行く時間すら惜しかった。
理由は単純です。休んだら、その分だけ収入が減るから。

「ゆっくり休んで、また頑張ろう」なんて、優しい言葉を自分にかける余裕はなかった。
むしろ、休むことへの罪悪感すらあった。

この社会では、**「働かないこと」=「怠け者」**と見なされる風潮があります。
でも本当のところは違う。
働きたくても、働けない人もいるし、
働きすぎて壊れていく人もいる。

私は、後者でした。


■ 働く理由が「生きるため」になった瞬間

「仕事は自己実現の手段」と言う人もいます。
でも、私にとって仕事は“生存のための行為”でしかなかった。

奨学金の返済、家賃、光熱費、食費。
それらを差し引くと、残るお金なんてほとんどない。
旅行なんて夢のまた夢。
友人との飲み会も、参加するたびに財布が痛む。

それでも働き続けたのは、単純に「生きるため」。
働かなければ、明日が来ないから。


■ 「働かない自由」は“持つ者”の特権

あるとき、SNSで「仕事を辞めて田舎に移住しました」という投稿を見ました。
彼のプロフィールには、「数年働いて貯金して、今はスローライフ」とありました。

正直、羨ましかった。
でも、同時に思いました。
「それは“貯金できるだけの人生”を歩んできた人の話だ」と。

私のように、学費のために借金を背負っている人間には、“働かない自由”なんてない。
「休む」という選択肢そのものが、最初から用意されていないんです。


■ 社会は「自己責任」で片づけるけれど

貧困や借金の話をすると、必ず出てくるのが「それは自己責任でしょ」という言葉です。
確かに、借りたのは自分。
だから返す責任も自分にある。

でも、「借りざるを得なかった」という現実もある。
母子家庭で、学費を払う余裕がなかった。
国公立に落ちて、浪人を重ねて、それでも諦められなかった。
努力の結果、国家資格を取ったとしても、スタートラインは他の人よりずっと後ろにある。

それでも、「頑張れば報われる」と言い聞かせて働いてきた。
だけど、実際は報われるよりも、ただ“生き延びる”ことに精一杯だった。


■ 「働き続ける」しかない現実の中で

奨学金の返済が終わるのは、あと十数年後。
正直、ゴールが見えない。
でも、働き続けるしかない。

もし今、同じように苦しんでいる人がいたら、
私はこう伝えたいです。

「無理に夢を追わなくてもいい」
「まずは生きるために働いていい」

世の中には、「もっとやりがいを」「もっと自由を」と語る人が多いけれど、
“やりがい”も“自由”も、まずは“生きている”ことが前提です。

生きるために働く──それだけで、もう十分立派だと思う。


■ 働くことは「生き延びること」

私は今も、日々働いています。
体は正直きつい。
でも、少しずつ、借金を返していく過程に、わずかな達成感もある。

「働かないと生きられない」
この言葉は、貧困層にとって現実そのものです。

けれど、それを恥じる必要はないと思います。
むしろ、そんな現実を受け止めながらも前を向く姿こそ、
“生きる強さ”なんじゃないでしょうか。


■ 最後に──生きるために働く、それでいい

「ワークライフバランス」なんて、遠い世界の話に聞こえるかもしれません。
でも、今を必死に生きるあなたに、私は伝えたい。

あなたが今日も働いているのは、怠け者だからじゃない。
“生きたい”という本能が、あなたを動かしているだけなんです。

私も同じです。
これからも、働き続けます。
生きるために。


(まとめ)

  • 貧困層には「働かない自由」がない。
  • 奨学金や生活費の現実が、働くことを強制する。
  • 「生きるために働く」ことは、恥ではなく誇り。

※この記事は、同じように「働かざるを得ない現実」を生きている人たちへ向けて書きました。
誰かがこの現実に共感し、「自分だけじゃない」と思ってもらえたら、それだけで意味があると思っています。

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