やりたいことはたくさんあるのに、なぜか何もできない

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。

やりたいことは、正直たくさんあります。
英語を勉強したい。簿記も取っておきたい。
資格の勉強、投資の勉強、筋トレ、読書、早起き、節約、自己管理…。
頭の中には「理想の自分」がいるのに、現実の私は仕事に追われて、何一つまともに続けられません。

仕事が終わればクタクタで、家に帰ったらもう「明日への備え」で精いっぱい。
時間はあるようで、実際にはまったく足りない。
「今日も何もできなかった」と自己嫌悪に沈みながら、スマホをいじって1日が終わる。
そんな日々が、何年も続いています。


「やりたいこと」は増えるのに、「できること」は減っていく

社会人になってから痛感したのは、自由な時間があっても自由ではないという現実です。
学生時代のように「勉強すること」自体が生活の中心ではなくなり、
生活費、奨学金、家賃、税金──お金の流れが自分の首を締めるように感じる瞬間があります。

特に私は、奨学金の総額が2100万円を超えています。

毎月の返済額は、普通の人から見ればかなりの負担。
だからこそ「副収入を作らないと」「スキルを磨かないと」と焦る気持ちはいつもあります。
でも、焦るほど何も手につかない。

「このままでいいのか」と思いながら、
気づけば夜になり、疲れた体でまた明日も同じ日常を繰り返す。


優先順位がつけられない自分に嫌気がさす

「まずは英語から」「いや、簿記を取ったほうが仕事に有利かもしれない」
「それよりも健康を整えなきゃ」「筋トレも大事だ」
「本も読みたい」「投資も気になる」──

気づけば、頭の中が“やりたいこと”で渋滞しているのです。

そして、どれも中途半端。
何かを始めても、3日続けばいいほう。
手帳には書くだけ書いて、実行できないまま月が変わる。
そんな繰り返しに、心がすり減っていく。

「結局、自分には何もできないんじゃないか」と思ってしまう。
でも、根底には「本当は何かを変えたい」という気持ちが確かにある。
だから苦しいのです。


時間がないという現実と、心の余裕のなさ

多くの人が「時間がない」と言いますが、
実際は時間よりも「心の余裕」がないことが多いのではないでしょうか。

私の場合、仕事で神経をすり減らして帰ってきたあと、
机に向かう気力がもう残っていません。
休日も「やるべきこと」は山のようにあるのに、
体が動かない。気づけば昼過ぎになって、自己嫌悪だけが増えていく。

頭では「優先順位をつけてひとつずつやればいい」と分かっているのに、
その「優先順位」さえも、考えるのがしんどくなる。
結果、何も決められず、何も進まない。


「優先順位を決める力」は、自己肯定感と比例する

最近思うのは、優先順位を決められないのは、自己肯定感の低さと関係しているということです。

「どうせ自分がやっても続かない」
「何をやっても報われない」
そういう思いが心の奥底にあると、最初の一歩すら踏み出せません。

つまり、「どれを優先するか」より前に、
「何をやっても自分には価値がある」と信じることが必要なのかもしれません。

努力が無駄になった経験を積みすぎると、
次の挑戦に向かう勇気を失っていく。
私もまさにそのタイプです。

3浪して、6年制の私立大学に通い、国家資格を取ったけど、
手元に残ったのは奨学金の借金だけ。
「努力しても報われない」そんな経験が、
今でも心のどこかで私の動きを止めています。


「やらなきゃ」ではなく「やりたい」を取り戻す

私たちはいつの間にか、「やらなきゃ」と思って生きるようになりました。
勉強しなきゃ、仕事しなきゃ、スキルアップしなきゃ。
その「義務感」に押しつぶされて、本来の「やりたい」という気持ちが消えてしまう。

でも、少しだけ発想を変えると、状況は違って見えるかもしれません。

・英語を勉強したい → 海外の人とコミュニケーションを取りたい
・簿記を勉強したい → 企業の経営状況を理解して社会を理解したい
・筋トレしたい → モテたい、健康でいたい
・読書したい → 人生のヒントを探したい

「目的」ではなく「理由」を自分の言葉で置き換えると、
行動のハードルが下がることがあります。


「全部やろう」としない。順番を決めなくてもいい

私は、「優先順位を決められない自分」を責めるのをやめようと思います。
なぜなら、どれも大事だからこそ決められないのだと思うようにしたからです。

すべての「やりたいこと」は、今の私にとって意味がある。
だから、「今日はこれ」「明日はあれ」と、
気分で少しずつ手をつけるようにしています。

例えば、
・通勤電車で英語アプリを1レッスンだけ
・寝る前に簿記テキストを1ページだけ
・休日の午前中に10分だけ筋トレ
たとえそれだけでも、「今日少しだけ進んだ」という感覚が自信につながるのです。

大事なのは「やり続けられる仕組み」を作ること。
完璧じゃなくていい。
0か100かで考えず、「1でもやる」を積み重ねる。


「努力=報われる」ではなく「努力=自分を守る」

私はこれまで、「努力すれば報われる」という言葉を何度も信じて裏切られてきました。
だから、今はこう思っています。

努力は、報われるためにするものじゃない。
努力は、自分を守るためにするものだ。

努力は、誰かに認められなくても、
やり続けることで「自分を嫌いにならない」ための行為だと思うのです。
たとえ結果が出なくても、「自分は何もしていない」とは言えない。
その小さな積み重ねが、
将来どこかで自分を救うことがあると信じています。


「やれない自分」を受け入れる勇気

正直、私は今でもうまくいっていません。
毎日やりたいことが山ほどあるのに、
実際にできているのはほんの一部です。

でも、最近はそれでもいいと思うようになりました。
やれない自分を受け入れることも、人生のスキルだからです。

100点を目指すより、
「今日は30点だけど、続けられた」
その感覚を大事にしていきたい。

完璧を求めるほど、動けなくなる。
だから、私は「不完全でも進む」ことを選びたいと思っています。


「焦らず、腐らず、比べず」──これが今の私のテーマ

奨学金の返済が続く限り、
時間にもお金にも余裕がない生活はしばらく変わらないでしょう。
でも、それでもできることはある。

焦らず、腐らず、比べず。
自分のペースで一歩ずつ。

それが、弱者である私が生き延びるための戦略です。
小さな努力を積み重ねることこそ、
「やりたいことをやれない人生」から抜け出す唯一の道だと思います。


まとめ:やれない日々の中にも、希望はある

やりたいことがあるというのは、
それだけで希望を持っているということです。

何も望まない人よりも、
「変わりたい」と思っているあなたのほうが、確実に前を向いています。

私も、まだ途中です。
奨学金の返済も終わっていませんし、
理想の生活にはほど遠い。
でも、「何もできない」と落ち込みながらも、
少しずつでも前を向こうとしている。
それだけで、十分だと思っています。

今日もまた、
やりたいことをやって寝ようと思います。
それでいい。
それが、私なりの「やりたいことをやる」生き方です。

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