こんにちは、奨学金男です。
最近、少しずつ涼しくなってきましたね。
そんな季節の変わり目に、私はいつも体調を崩します。
今回はアメリカに行っていたこともあり、やはり体調を崩しています。
喉が痛くて、関節が少しズキズキして、「あれ、風邪かな」と思う。
でも、体温計を見て36.8℃だったら、「熱はない」と言い聞かせて、いつものように出勤します。
社会人になってから、私は何度もこうして“気合い”で乗り切ってきました。
体が悲鳴を上げても、「休んだら終わる」という焦燥感が先に立つのです。
──なぜ、ここまで無理をしてしまうのか。
今日は、「体調が悪くても休めない」という、貧困と責任のはざまにある現実について書いてみたいと思います。
熱がないから大丈夫、と思い込む
ある朝、いつものように目覚ましが鳴りました。
体が重い。喉が痛い。少し関節も痛む。
でも、体温を測ると平熱より若干高いが37℃はいっていない。
「熱はない。大丈夫。」
そう自分に言い聞かせて、無理やり布団を抜け出しました。
実際、社会人にとって「熱があるかどうか」が体調不良のボーダーラインになっている気がします。
37.0℃を超えたら“休んでいい”。
それ以下なら“自己責任”。
けれど本当は、体が出しているSOSは数値では測れません。
関節痛、倦怠感、集中力の低下…。
それらは、単に「サボり」でも「気合いの問題」でもないはずです。
それでも私は、今日も出勤しました。
理由は単純です。
休むことが怖いから。
休むと信用が減るのが怖い
私が「休めない」最大の理由は、お金です。
私は高校2年のときに父を亡くし、母子家庭で育ちました。
3浪の末に6年制の私立大学に進学し、国家資格を取得しましたが、その代償は奨学金総額2100万円。
私についてはこちらの記事を読んでください。
社会に出た瞬間から、私はマイナス2100万円のスタートでした。
毎月の返済額は、家賃と同じくらい重くのしかかります。
そんな中で、たとえ1日でも休むと、信用が減るのではないかと思ってしまう。
本来であれば職場に風邪をまき散らすより休んだ方がいいのはわかっている。
でも、休んだらどう思われるかが怖い。
だから、体調が悪くても「今日は大丈夫」と言い聞かせて出勤する。
熱がなくても、咳をしながらパソコンに向かう。
同僚に「大丈夫?」と聞かれても、「ちょっと寝不足で」と笑ってごまかす。
その笑顔の裏には、貧困の影がある。
休んだ瞬間に、生活が崩れる不安がある。
「責任感」と「恐怖感」は紙一重
社会人になると、責任という言葉が重くのしかかります。
チームで仕事をしていると、自分が休むことで誰かに迷惑をかける。
特に、私のように「替えのきかない」属人的な仕事をしていると、休むことが“裏切り”のように感じる。
でも、やっぱりそこには責任感だけでなく、恐怖感もあります。
「休んだら評価が下がるんじゃないか」
「次の契約を切られるんじゃないか」
「“体が弱い人”だと思われるんじゃないか」
そんな恐怖が、私たちを“働かせ続ける”のです。
私は、貧困を抜け出すには努力が必要だと思っています。
けれど、「努力」と「無理」は違う。
無理を続けて心や体を壊してしまったら、本末転倒です。
弱者ほど「休む権利」がない社会
日本には、体調不良でも働く人が多いと言われます。
「頑張ってる」「偉い」と言われることもあります。
でも、それは“褒められる努力”ではなく、“搾取される構造”の結果かもしれません。
経済的に余裕がある人は、少し体調を崩したらすぐに休めます。
フリーランスや非正規、奨学金を抱えている人ほど、休むことが「贅沢」になります。
つまり、弱者ほど休む権利が奪われているのです。
「体調不良でも働く」は、努力の証ではなく、構造的な貧困のサイン。
私自身、その中にどっぷり浸かっていることを痛感します。
休む勇気を持つことの難しさ
以前、仕事帰りにふと気づきました。
手が震えている。
頭がぼんやりする。
関節が痛い
のどが以上に乾いていて、痛い
そのとき初めて、「これはやばい」と思いました。
次の日、久しぶりに病院に行くと、コロナでした。
医師から「休みなさい」と言われて、やっと休む決心がつきました。
でも、家で横になっている間も、「仕事が溜まる」「返済が遅れる」という不安が頭を離れませんでした。
それでも、数日間しっかり休んで、ようやく少し楽になったときに思いました。
──本当に怖いのは「休むこと」ではなく、「休めなくなること」だと。
弱いままでいい、でも壊れるな
私は、いわゆる“弱者男性”の一人です。
お金も地位もなく、家庭も持っていません。
でも、それでも生きていく。
奨学金を返しながら、なんとか今日を積み重ねていく。
そんな自分にとって、体調を崩すことは「立ち止まる」ことです。
でも、本当に壊れてしまったら、再起できない。
だからこそ、無理のラインをちゃんと見極めなければならない。
「弱いままでいい。でも壊れるな。」
それが、私がこの数年で学んだ教訓です。
さいごに:「休むことは罪じゃない」
この記事を読んでいるあなたがもし、
「少し関節が痛い」「だるいけど行かないと」と思いながら働いているなら、
私はあなたに伝えたい。
休むことは、罪じゃない。
体を壊したら、奨学金も、仕事も、何も守れません。
貧困から抜け出すためにも、まずは健康でいなければならない。
休むことは「逃げ」ではなく、「戦略」です。
そして、私たちはその“戦略”を持って生きていくべきなんです。
体調が悪くても、仕事を休めない。
それは、怠けではなく、生きるための選択。
でも、時には立ち止まる勇気を持たないと、本当に大切なものまで失ってしまう。
私は今日も、体温計を見つめながら自分に問いかけます。
「大丈夫か?」
──もし、その答えが「大丈夫じゃない」なら、どうか休んでください。
あなたの人生は、仕事よりも、借金よりも、ずっと重いのだから。
私も休む勇気がまだでないけど、ちゃんと休める大人になりたい。
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