こんにちは、奨学金男です。
10月の空気が少しずつ冷たくなってきました。
そんな中、ポストに「国勢調査2025のお知らせ」が届いていました。
締め切りは10月8日。
国の調査とはいえ、どこか他人事のように感じて、しばらく放置していました。
けれど、今日SNSで国税調査の呼びかけを見てようやく重い腰を上げて、インターネットで回答しました。
10分もかからない簡単な内容なのに、なぜか終わったあとに、胸の奥が少しだけ痛くなったんです。
「世帯に住んでいる人は1人」──たったその一文に、現実を突きつけられる
国勢調査の質問は淡々と進みます。
「この住所に住んでいる人は何人ですか?」
「あなたの婚姻状況を教えてください」
「職業は?」
「勤務先は?」
──こういう質問は、ただの統計のためのデータ入力にすぎないはずです。
それなのに、「1人」と入力する瞬間、
なんだか、自分の生き方そのものを審査されているような気がしました。
「世帯に住んでいる人は1人」
「未婚」
「持ち家ではない(賃貸)」
「世帯主は自分」
淡々と答えていくうちに、「ああ、これが今の自分なんだな」と、現実が冷たく浮かび上がってくる。
まるで国勢調査という鏡に、自分の孤独が映し出されているような感覚でした。
「家族」と呼べる存在のいない国勢調査票
私の父は、高校2年のときに亡くなりました。
母は女手ひとつで私を育ててくれましたが、裕福な家庭ではありませんでした。
奨学金に頼りながら大学に進学し、6年制の私立大学で国家資格を取得しました。
合計2100万円以上の奨学金を抱え、卒業後も「返すために働く」ような生活が続いています。
私についてはこちらの記事を読んでください。
そんな人生を振り返ると、国勢調査の「世帯」という言葉がやけに遠く感じます。
多くの人にとっては、家族の人数を数えるだけの設問かもしれません。
でも私にとっては、「いない」と答えるたびに、過去と現在の孤独が重なってしまう。
かつての自分には、父がいて、家族がいて、食卓には誰かの声があった。
今は、一人暮らしのアパートで、家電の音と外から聞こえてくる虫の声。そして自分のため息しかない。
「10分で終わる調査」に10年分の人生が詰まっている
回答にかかった時間は、10分にも満たないほど。
でも、その短い間に、私は自分の10年間を振り返っていました。
大学進学、3浪、国家試験、就職、奨学金の返済。
「結婚は?」「子どもは?」と聞かれるたびに笑ってごまかしたこと。
誰にも見せないまま、ふとした夜に涙がこぼれたこと。
国勢調査の「1人」という数字は、
そんな日々の積み重ねの“結果”なんだと思いました。
「弱者男性」という言葉に感じる、静かな抵抗
最近、SNSやニュースでは「弱者男性」という言葉をよく見かけます。
正直、あまり好きな言葉ではありません。
けれど、私自身がそのカテゴリーに入ることも否定できません。
奨学金を背負い、結婚もしていない。
貯金もほとんどなく、正社員とはいえ薄給。
社会的には「負け組」かもしれません。
でも、私は生きています。
借金を抱えても、なんとか今日を働いて食べている。
国勢調査の「未婚」「1人暮らし」という項目を前にしても、
それを“恥”ではなく、“現実”として受け止められるようになった気がします。
「1人でも生きている」という事実を、数字に刻む
国勢調査の目的は、「日本のすべての人を数えること」。
つまり、どんなに小さな存在でも、社会の一員としてカウントされる。
「1人暮らし・未婚・低所得」でも、確かにこの国に生きている。
それを国が認識してくれる、それだけでも少しだけ救われる気がしました。
「1人」と入力する指先に、
「でも、まだ生きている」という実感がこみ上げてきたんです。
孤独は“終わり”ではなく、“始まり”かもしれない
私はこれまで、孤独を「敗北」だと思っていました。
けれど、国勢調査の回答を終えたあと、ふと思いました。
「この“1人”の先に、何を積み上げていけるだろう?」と。
奨学金の返済が終わるのは、まだまだ先です。
結婚も、家庭も、手の届く距離にはありません。
それでも、こうして文章を書きながら、自分の人生を見つめ直すことができる。
誰かの心に届くかもしれない言葉を残せる。
もしかしたら、それが私にとっての「社会とのつながり」なのかもしれません。
さいごに:国勢調査がくれた小さな気づき
10分の国勢調査。
それは、ただの事務作業ではありませんでした。
自分の「現実」を、数字として突きつけられる。
でもその数字の中に、これまで積み重ねてきた生き様が確かに存在する。
孤独でも、借金があっても、まだ終わっていない。
この国に、「1人の男」として生きている。
国勢調査のデータベースのどこかに、私の存在が刻まれた。
それが、なんだか少し誇らしく感じました。
締め切りギリギリに慌てて回答した国勢調査。
それは、まるで私の人生そのもののようでした。
いつも後回しで、ギリギリで、なんとか生きている。
けれど、そんな不器用な人生でも、
確かに「ここにいる」と記録された。
孤独な夜に、その事実を思い出すだけで、
少しだけ、前を向ける気がします。
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