こんにちは、奨学金男です。
昨日、自民党総裁選で高市さん(高市早苗氏)が当選しました。
ニュースを見ながら、正直、政治には疎い私ですが、「どんな人なんだろう」と気になって調べてみたら、思いのほか胸に響く人生を歩んでこられた方でした。
彼女の経歴を知るうちに、「努力すれば報われる」という言葉が、単なるきれいごとではないと感じました。
そして、2100万円以上の奨学金を抱えながら、なんとか生きている私自身の人生とも、どこか重なって見えたのです。
私についてはこちらの記事を読んでください。
高市早苗さんは「二世議員」ではなかった
政治家と聞くと、「親が政治家」「地盤がある」「お金がある」というイメージが強いですよね。
でも調べてみて驚きました。高市さんは、いわゆる“二世議員”ではないのです。
彼女は奈良県出身で、一般的な家庭で育ちました。父親は民間企業のサラリーマン、母親は公務員。いわば中流家庭で、決して裕福だったわけではありません。
そして何より印象的だったのが、「大学に行くためにアルバイトをしていた」というエピソードです。
当時、両親の反対もあり、女子が東京の私立大学で一人暮らしをする経済的余裕はなかったそうです。
高校時代から受験料や入学金を自分で賄い、国立大学進学後も家庭教師や飲食店のアルバイトを掛け持ちしながら学業を続けたとのこと。
経済的に厳しい環境の中でも、早くから自立を意識して生きていた姿勢に、心から尊敬の念を抱きました。
私自身も大学時代、バイトを掛け持ちし、奨学金を借りながら生活費と学費をまかなっていました。
ただ私は奨学金という“借金”の力を借りて進学しましたが、高市さんは自分の力で働きながら学び、国会議員にまでなった。
それを知った瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げてきました。
「学ぶこと」を諦めなかった
私の家庭も裕福とは程遠いものでした。
高校2年生のときに父を亡くし、母子家庭に。母は朝から晩まで働きづめでした。
「大学なんて無理だ」と思いながらも、なんとか受験勉強を続け、3浪の末に6年制の私立大学へ進学しました。
もちろん学費はすべて奨学金。結果として、2100万円以上の借金を背負うことになりました。
国家資格を取り、働き始めた今でも返済は続いています。毎月の支払額を見るたびに、胸が締めつけられるような気持ちになります。
だからこそ、「高市さんもお金がなくても学び続けた」という事実に救われました。
「やっぱり、学ぶ意欲だけは失わなくていいんだ」と。
どんな境遇でも、努力の方向さえ間違えなければ、人生はきっと変えられる。そう思えるようになりました。
バイトに明け暮れた学生時代──努力の積み重ね
高市さんの学生時代を知ると、本当に“努力の人”だと感じます。
大学で学びながら生活費を稼ぎ、当時の女性としては珍しく、強い信念をもってメディアや政治の世界に飛び込んでいったそうです。
私も大学時代、とにかく働き詰めでした。
「時間がない」「眠れない」と愚痴をこぼしながらも、返済のために働くしかなかった。
寝不足で体調不調になったこともあります。
でも、そんな経験をしたからこそ、高市さんの「働いて学んだ」という一文が胸に突き刺さったのです。
努力は、必ずしも報われないことがある。
それでも、「報われない努力をしている自分」を恥じる必要はない。
誰に見られていなくても、自分の中で意味のある努力なら、それは必ず自分を強くしてくれる。
「弱者男性」という言葉に、時々、心が刺さる
最近、SNSでよく見かける「弱者男性」という言葉。
低収入、非正規雇用、低身長、恋愛経験なし──そんなラベルを貼られた存在。
身長168cm、独身、貧困家庭出身、奨学金返済中の私。
正直、どこか自分がそのカテゴリーに入っていると感じることがあります。
でも、高市さんの生き方を知って思いました。
「弱者であること」は恥じゃない。
むしろ、「弱者としてどう生きるか」が人生の本質なんじゃないかと。
高市さんは、女性という立場で数多くの壁を乗り越えてきた人です。
社会の中で様々な不利や偏見を経験したからこそ、政治の現場で声を上げられたのだと思います。
それは、私たちにも通じる生き方です。
「努力しても報われない時代」に、どう生きるか
正直、今の日本は努力だけでは報われにくい時代です。
学歴があっても給料は上がらず、真面目に働いても生活は苦しい。
結婚しようにも、生活の余裕がない人が多い。
それでも、「努力する意味」を見つけて生きるしかない。
そう思ったとき、政治家としての高市さんの姿が一つの希望に見えました。
彼女はインフレ対策、社会保障、女性の地位向上など、さまざまな課題に取り組んでいます。
ただの政治家ではなく、“貧困”や“努力”を実際に経験した人が国を動かしている──
その事実に、少しだけ救われた気がしました。
「私たちは負け犬じゃない」
私はこれまで、何度も「自分は負け組だ」と感じてきました。
同級生は一流企業に入り、結婚し、マイホームを建てている。
私は奨学金の返済に追われ、老後のことを考える余裕もない。
でも、高市さんの人生を調べながら思ったんです。
「負け組」や「弱者」という言葉は、結局“誰かが決めた基準”でしかない。
本当に大切なのは、どんな環境でも“自分の信念”を持って生きること。
それを高市さんの人生が証明しています。
貧困家庭出身でも、努力して、信念を持って行動すれば、社会の中心に立てる。
2100万円の奨学金を抱えて見える景色
私にとって奨学金は、人生の呪いであり、同時に誇りでもあります。
この借金があるからこそ、私は「生きるとは何か」「努力とは何か」を真剣に考えるようになりました。
もし裕福な家庭に生まれていたら、ここまで必死にはなれなかったかもしれません。
貧困は苦しい。けれど、貧困を知っている人間にしか見えない景色があります。
高市さんのように、「お金がない中でも学び、働き、挑戦する人」がいる。
だから私も、自分の立場を悲観するのではなく、力に変えていきたいと思います。
■ 最後に──弱者の希望として
この記事を書きながら感じたのは、「高市さんってすごい人だ」という単純な感想だけではありません。
それよりも、「誰だって、どんな出発点からでも人生を変えられる」というメッセージです。
私たちは、生まれや環境を選べません。
でも、どう生きるかは選べます。
たとえ奨学金地獄にいても、貧困にあえいでも、
小さな努力を積み重ねていけば、必ず何かが変わる。
それを私は、高市さんの人生から学びました。
【まとめ】
- 高市さんは二世議員ではなく、普通の家庭から努力でのし上がった。
- 学費のためにアルバイトしながら大学を卒業。
- 弱い立場でも信念を持って生き抜いた姿に、多くの学びがある。
- 奨学金返済中の私も、「努力をやめない」という点で同じ土俵にいる。
「弱者」と呼ばれても、胸を張って生きていこう。
私も、あなたも、人生の途中にいるだけだ。
だから今日も、返済のために働きながら、前を向いていきます。
昨日書いたこの記事もぜひ読んでください。
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