こんにちは、奨学金男です。
私は現在、月々奨学金を返済しながらNISAで少しずつ積み立て投資をしています。奨学金の総額は2100万円以上。高校2年で父を亡くし、母子家庭で3浪して、6年制の私立大学を卒業。国家資格を取得し、なんとか正社員として働いています。
身長は168cm、独身です。
私についてはこちらの記事を読んでください。
このブログでは、「脱弱者男性」×「貧困」×「奨学金返済」という現代日本のリアルに切り込んでいます。
今回は、以前お話しした「父の墓を建てた理由」の続編として――。
納骨から4カ月。初めての墓参りに行ってきた日のことを、記録として残しておきたいと思います。
親戚の叔父と合流し、昼食へ――その後、母と合流して墓参りへ
朝、家を出発した時は少し曇っていました。
納骨に立ち会った日からちょうど4カ月。父の墓が完成し、今回は「納骨後、初めての墓参り」に行く日でした。
レンタカーを借り、最初に向かったのは、親戚の叔父と待ち合わせの駅。車で迎えに行き、一緒に実家の最寄駅まで車で行き、納骨の時に行った寿司屋で昼食をとることにしました。
母がコースで予約をしてくれており、ふたりで他愛のない会話をしながら、父の葬儀のときの話を少し思い出しました。
「あのときの葬式、大変だったな」
「本当に、よくここまで来たよ」
そんな言葉を聞きながら、自然と胸が熱くなりました。
そのあと、仕事が終わった母と合流し、3人で父の墓へ向かいました。
「孫を見せてやれ」とは言われなかったけれど
昼食の席で、叔父が話してくれたのは、自分の孫の話でした。
孫の習い事のことや、進学のこと、いろいろと話してくれ、その中でこの一言がありました。
「やっぱり孫がいるのはいいものだ。」
その言葉を聞いたとき、私は思わず笑顔を浮かべながらも、心の奥が少しチクッとしました。
叔父は、私に「早く結婚しろ」とか「母親に孫の顔を見せてやれ」などとは、一言も言いませんでした。
でも、言われなくても分かるんです。
母に孫を見せてあげられない自分に、ほんの少し、申し訳なさを感じていました。
静かな時間と、線香の香り――墓前で感じたこと
父の墓があるのは、実家から車で10分くらいの霊園。学校や社会教育施設などが近くにあり、時間によっては少しにぎやかになる場所に父の墓は立っています。
叔父が持ってきてくれた花を丁寧に供え、線香を立てて、静かに手を合わせました。
私はその隣で、父に向かってこう語りかけました。
「しばらく来れなくてごめん」
「借金まみれだけど、なんとか生活できているよ」
「母さんも元気で、また来たよ」
数分の沈黙が、心に沁みました。
墓を建ててよかったと思えた瞬間
墓参り自体は30分もしないで終わりました。
でも、墓がそこに“ある”という事実が、私の中で大きな意味を持っていました。
墓を建てるまでに何年もかかりました。
奨学金を返しながら、少しずつNISAで積み立てている中で、お金を捻出して――。
それでも、「建ててよかった」と、今は心から思えます。
「借金男」でも返せるものがある
奨学金2100万円という重荷は、今も私の生活にのしかかっています。
結婚もしていない、子どももいない、身長も平均以下、年収も高くない。
いわゆる「弱者男性」としてカテゴライズされる人生を歩んできました。
でも、そんな私でも、
「親に何かを返す」
ということは、できたんです。
それはお金ではないかもしれない。
でも、“想いを形にする”ことはできたと思っています。
墓を建てることは、自己満足なのか?
「墓なんていらない」「ゼロ葬で十分」という意見も、よく目にします。
たしかに、合理的にはその通りかもしれません。供養の形に正解はないのです。
でも、私にとっては、墓という形で“母の心の拠り所”を作れたことが、なによりも大きかった。
母が線香をあげていた姿。
墓石に刻まれた父の名前を見て、自分の中に湧き上がった誇り。
それは、「自己満足」で片づけられない、人生の証明のようなものでした。
墓を持つか、持たないか――どちらも正しい時代に
もちろん、現代において「墓を持たない」という選択は、むしろ一般的になりつつあります。
- 墓地が遠くて管理できない
- 継ぐ人がいない
- 費用が高すぎる
- 宗教的なつながりを持ちたくない
そんな事情の中で、樹木葬や納骨堂、手元供養などが広がってきたのも自然な流れです。
墓じまい=悪ではありません。
むしろ、「合理的な選択」です。
でも私にとっては、「非合理」な方を選んだことが、結果として自分を救ってくれました。
読者のあなたへ:奨学金・貧困・供養のはざまで揺れる人へ
最後に、この記事を読んでくれたあなたに、どうしても伝えたいことがあります。
もし今、
- 奨学金で生活が苦しい
- 親の供養にお金を回せない
- 親と疎遠で墓を建てる気になれない
- 自分の将来すら見えない
そんな気持ちを抱えていたとしても、大丈夫です。
墓を建てるかどうかに、正解はありません。
でも、もし心のどこかで
「親に感謝を伝えたい」
「ルーツを大切にしたい」
と思う気持ちがあるなら、それはもう“財産”です。
墓でなくても、手紙でも、写真でも、思い出でもいい。
あなたにも“返せるもの”があります。
この記事が、あなた自身の選択のヒントになれば幸いです。
あなたへの問いかけ
「あなたが“返したい”と思う誰かは、いますか?」
それが誰であっても、何であっても構いません。
その気持ちを、どうか大切にしてください。
ご感想・ご質問があれば、コメント欄やSNSで教えてください。
今後も、「脱弱者男性」×「貧困」×「奨学金返済」をテーマに、リアルな経験を発信していきます。
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