奨学金2100万円を抱える私が“転売ヤー”について思うこと|貧困・弱者男性のリアルとお金との向き合い方

人生論・貧困・奨学金

こんにちは、奨学金男です。
この記事では、奨学金2100万円以上という巨額の借金を抱える私が、「転売ヤー」という現象について、正直な気持ちと考えを語っていきたいと思います。

高校2年生のときに父を亡くし、母子家庭で3浪して私立の6年制大学に進学。国家資格を取得し、今はその資格を活かしながら、コツコツと奨学金を返済しています。身長168cm、独身。NISAでの積立投資も始めましたが、贅沢はできません。

私についてはこちらの記事を読んでください。

そんな「弱者男性」の一人である私が、転売ヤーという存在をどう捉え、なぜそれでも“倫理観のある生き方”を選びたいのかをお話しします。


転売ヤーってそもそも何?

「転売ヤー」とは、商品を安く仕入れて高く売ることで利益を得る人たちのこと。例えば、限定スニーカーやゲーム機、推し活グッズ、人気コンサートチケットなどを大量に買い占め、定価よりも高額でフリマアプリやオークションサイトで販売します。

最近では、マクドナルドのハッピーセットについてくるポケモンカードなどもターゲットにされ、SNSでは「転売ヤー許すまじ」「転売ヤー滅びろ」などの怒りの声もよく見かけます。


貧困層から見た転売のリアル

私は母子家庭で育ちました。大学進学のために背負った奨学金は、総額2100万円以上。卒業後はそれを毎月返済しながら、投資でなんとか資産形成を試みています。

こんな状況だからこそ、「楽して稼げるなら、転売でもやってみようかな…」と思ったことは一度や二度ではありません。情報商材や転売ノウハウを販売するアフィリエイト記事に心惹かれたこともあります。

でも、いつも思いとどまるのです。

  • 「本当にその商品を欲しい人の手に渡らなかったらどうしよう」
  • 「相手は泣いてるかもしれない」
  • 「儲かっても、そのお金って嬉しいのかな?」

これは綺麗事でも正義感でもなく、自分の中の感情的な“違和感”なんです。


転売には「誰かが損をしている」ケースがある

私が嫌なのは、転売そのものではありません。
「誰かが喜ぶ転売」は良い。でも「誰かが損をする転売」はダメ。

たとえば、個人で不要になった本や洋服、使わなくなった家電をメルカリで売るのは、むしろエコだし双方にメリットがあります。

しかし、プレミア商品を買い占めて、本当に欲しかった人が手に入らない。
子どもへのクリスマスプレゼントが買えない。
チケットを買えずにファンが涙する。

そんな事例を見るたび、胸が痛くなります。


転売は“格差”を助長するビジネスモデルなのか?

転売ヤーが狙う商品には、ある共通点があります。

  • 数量限定(スニーカー、ポケカ、ライブチケット)
  • ブランド価値(Apple製品、任天堂のゲーム)
  • オタク・趣味需要(フィギュア、グッズ)

それらを大量に確保し、価格を吊り上げる。つまり、「お金がある人しか買えなくなる」仕組みを生み出してしまうのです。

一方で、転売ヤー自身もまた「資本主義の被害者」として語られることもあります。「給料が上がらない」「正社員になれない」「副業しないと生活できない」……。

つまり、転売ヤーとそれに文句を言う一般消費者の対立は、“貧困同士のぶつかり合い”という構図でもあるのです。


お金がないからって、倫理観を捨てたくない

私にはお金がありません。
投資もしてますが、奨学金の返済が重くのしかかり、自由に使えるお金は限られています。

だけど、「お金がないから何をしてもいい」とは思わない。
いや、むしろ「お金がないからこそ、自分の倫理観を失ってはいけない」と思っています。

一時的に儲かっても、誰かを不幸にして得たお金には後ろめたさが残る。
自分がやられたらイヤなことは、人にもしたくない。

そんな単純なルールを、自分の中で大事にしています。


お金がない人間にとって「信用」は最大の資産

お金がないとき、「信用」だけが武器になります。

  • 誰かにお願いして助けてもらえるか
  • 情報を得られる人間関係を築けるか
  • 一緒に稼げる仲間ができるか

これらはすべて、「この人なら信頼できる」という評価から生まれます。

逆に言えば、倫理を捨ててしまえば、それは信用の損失に直結します。

転売で一時的に儲かっても、「あいつはズルいことをして稼ぐ人」という印象が残れば、長期的には損なのです。


“弱者男性”が社会でどう生きるか?

最近ネットやYouTubeでは「弱者男性」という言葉が注目されています。
非モテ、低収入、孤独、貧困……。

私もそのカテゴリに分類されると思います。
結婚もしていないし、背も高くないし、お金もない。

だけど、そんな私でも、ブログを通じて誰かに伝えたいのは、
「弱者なりの矜持(プライド)を持って生きよう」ということです。

金がないなら頭を使おう。
時間があるなら学ぼう。
そして、自分の「物語」を武器にしよう。


正義感ではなく、共感からの行動を

転売ヤーを正義のヒーローぶって批判するつもりはありません。

生きるために手段を選べない人がいるのも理解しています。
でも、だからこそ「他人の痛みを想像する力」を持ちたい。

それが、貧しさの中でも私が失いたくないものなんです。


さいごに:これからの時代に必要なのは、「小さな倫理」

世の中はますます「個人で稼ぐ」時代になっていきます。
副業、投資、アフィリエイト、転売……選択肢は広がっています。

でも、何を選ぶかは自由でも、「どう生きるか」は自分次第。

・お金を稼ぐために、誰かを踏み台にするのか
・それとも、誰かを救うために、自分の物語を活かすのか

私は後者を選びたい。
だからこのブログを書いています。

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